YOGA THERA

”constrain”というテーマでレッスンを受けてみた ・ ガルーダ


ごきげんよう。

白濱です。

 

 

 

定期的にレッスンを受け続けています。

過去さまざまなレッスンを受けてきたけど、やっぱり”これ”と思っているので

それを続けます。もう始めて12年ほどになるでしょうか。ひと回りしました。

最近はオンライン普及のおかげで、前より増して数をこなせています。

今、多くのレッスンを提供できるようになったのも

アレのおかげですね。

 

 

 

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あらゆる考え方が世の中にはあって

それはそのなかにいろんな前提条件を踏まえた中でできたものです。

 

 

たとえば、ジョセフピラティスが生きた時代はこうだった・・とか

ジャイロキネシスができた時代はこうだった・・とか(まだ生きてます・・かね?)

 

 

そして、その先代の死後、

それらは有名になります。

 

 

 

なぜなら、先代のアイデアが一度終了、完結するから。

きっと生きていたらもっと膨大な叡智がそこに引き継がれるのかもしれませんが、

それは不可能です。

それを受け継いだ第一世代がそれをもとにいろんなアイデアを生み出していく

 

 

 

それは本当に素晴らしいことで

ヨガがいうところの、yuju つながる くびきをかける

ということがこれに値するのではないかと思います。

 

 

 

本当にそれを繋いでくれている過去の方々への感謝の意は

溢れんばかりです。

 

 

 

本日受けたレッスンは

側臥位での頭部を持ち上げやすくするレッスンでした。

 

 

 

頭を頭の力を使って持ち上げる?

頭をどう持ち上げるのか・・・

 

 

 

頭 と 言われると

あたま に注意が向きます。

 

 

 

これは普通のことです。

 

 

でも、頭を持ち上げるためには

”あたま”を支えている部分がどう活動するのかによって

その”楽さ”は変わります。

 

 

 

普段からいう”陰主陽従”ということはそれにも同じことです。

 

 

 

頭を持ち上げるために、どう”そのほか”が活動しているのかがポイント。

それが静的な活動なのか、どこまでが動的なのか。

逆にいえば、どこが”停止”してしまっているのか

 

 

 

レッスンを始めてから

とてもやりにくい(いじわるな笑)ポジションでの動作を試されます。

(今日は随分いじわるでした。笑)

 

 

横向きでの膝の前後

斜めを上を見る

肩越しに振り返って斜め上を見る

腕で体を支える

 

 

あらゆることが

意識したことないとしたら

とても難しく感じることです。

 

 

 

そのなかでいろんな気づきを得られるようになりました。

”続けてきたからこそ”

 

 

 

終わった後の体のなかで起こる変化は

まさに脳が覚醒していくその様を教えてくれます。

 

 

 

「できない」からこそ

「わからない」からこそ

 

 

 

そしてそれは「師」が提示してくれることを

ただただやってきたからこそ、です。

 

 

 

疑うことなく

「これはどういうことだろう・・・」

「何の意味だろう・・・」

と、あとから学ぶんです。

 

 

 

師・先生にはきっと何かの前提条件を経た上での

一言だったに違いありませんから。

 

 

 

 

ここで感じられる”わからないこと”が

我々の”生きる意味”を教えてくれるようにも思います。

 

 

 

”わからない”が”わかるようになる”には

制限・制約constrainがとても必要になります。

 

 

 

ある程度の制限、制約条件がないと

我々は自由になりすぎて、

”あたかもできてしまった”と錯覚してしまいます。

 

 

 

その肉体における制約の掛け方が

フェルデンクライスは秀逸です。

(これを知ってプラクティショナーをしている人も少ないようですが)

 

 

 

でも、その制約は

本来の子どもを見ているとあるようでありません。

 

 

 

身体の大きさ、長さ、重さという部分が

その成長に見合って進化していくので

その時に”味わうべくして味わっていれば”

本来必要な学びはすべてそこで起こると考えられます。

 

 

 

 

でも、その進化には ”もっと先”がある ということも忘れてはなりません。

 

 

 

やった = できた

 

 

では、もちろん”ない”

 

 

やった 

また違った味方をすれば

全然できてない

が存在します。

 

 

同じ味方でそれを評価すると

”できている”になりますが、

また他者が見てみると

まったく違った視点で

”できていない” ”不十分である” を教えてくれます

 

 

 

一人の指導者につくことは

それだけ偏りを生むのかもしれません。

 

 

 

良き指導者は

常にその幅を広げられるように

努力しているものです。

しかも、”みえないように”ね。

 

 

 

能ある鷹は爪を隠す

 

 

 

あなたの人生の中で

本当にその”爪”が必要になるまでは

あなた自身を磨き上げておけばいい

 

 

 

そうガルーダは教えてくれているのでしょうか。

 

 

 

それでは、また^^

この記事を書いた人

白浜芳幸

1982年生まれ札幌在住. 2012年より北海道セラピスト研究会に参加し理事・講師として活動. 理学療法士、作業療法士などの現場で働くプロを指導. 同時に各地で年間50本近くワークショップを開講. 2018年よりコンディショニングスタジオヨガセラ開設. 本来の人間の”生き方”と”考え方”を手に入れるためのツールになる”ボディワーク”と”ヨガ”を各地で伝え続ける.

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