よもやま話。死。2
樹木希林さんの言葉を借りよう。
樹木希林
生きるのも日常、死んでいくのも日常
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クレーシャ
ヨガが教えてくれる悲しみの種
その5つの中の最後にも
「死への恐怖」という話があります。
アヴィニヴェーシャ
「死に対する恐怖は、賢者であってもなかなか克服することができない」と聞きます。
死んでしまったら・・・
死ぬ前に〇〇をして・・・
病気が怖い・・
先の見えないもので
一番不安に感じてしまう死というものですが
我々が産まれたからには必ず手にしている一つの目的でもあります。
生まれるということは死ぬということ。
陰陽論から考えても
これらは2つでひとつです。
死ねるからこそ、産まれた。
生きるとは、死ぬこと
と言っている人がいましたが、
これはちょっと違っているように感じますね。
生まれると死ぬはセットだということです。
しかし、産まれたことに恐怖を持つ人はいない。
子供を産んだ瞬間、
うぉーーーーたくみっていうやつを産んでしまったーーーー
ぬぉーーーーと、はるみさんが恐怖を持ったことはないかと思います。笑
(いきなり名前つかってすみません。w)
育てられるんだろうか・・・という不安を持つ人はいますね。
生む前にそれを思うことはあっても産んだ直後にまたそれは早期されることもあるんだろうか・・・
ないとも言えませんかね。
なにの、”死”についてはいろいろなことを思います。
終わりなのか?
始まりなのか?
もしかしたら、
どちらも終わっていないんじゃないでしょうか。
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樹木希林
生きるのも日常、死んでいくのも日常
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どちらにせよ、
「いまやるべきこと」に意識が向いていないで
見えない先のことに思考が偏ったとき
我々は感情に押しつぶされるようです。
その感情からどんどん言葉の連想ゲームをすることが
得意な人が多いのが現状ですし。
言葉の連想ゲーム。
そんな意味を持たせていない「発する側」と、
自分が抱きたい意味を含めて「勘違いし続ける側」
〇〇って、ひどいこと言われた・・・
と、勘違いするのも
〇〇って、しかられてさ、いつも気にかけてくれてるんだよね・・
と、勘違いするのも
どちらも勘違いですが
人生においては大きくベクトルが変わってしまいます。
どうせ生きるのであれば
壮大な勘違いをしながら
人に感謝していきたいですね^^
「悪くしか聞こえない」人は、
あなた自身の思考と感情と運動と感覚に
大きな欠損があるのです。
出てきた言葉の稚拙さと幼稚さに打ちひしがれながら
ただ貴方自身を高めるレッスンを続けてください
反論するだけ時間の無駄です。
では^^
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