思考のクセであるが故。
明けましておめでとう。
誰の目に届くかわからないところであればなおのこと、
誰に届いてもいいように
愛情持って言葉は発したいもの。
とある人が
人に厳しくばかり接していた。
聞いていても
あまり嬉しくない言葉が並ぶし、強い。
そんな言い方しなくてもなぁと思っていたが
今は
「そうとしか表現できないんだろうなぁ」
に、こちらの捉え方が変わっている。
言いたくてそんなふうに強く言ってしまうわけではなくて、
「その言い方しか知らない」のと
「その言い方の見本を見てきた」のと
「反射的にそうしてるだけ」とかいう
あらゆる理由がそこにあるんだろう。
その子自身がちゃんと成長する気になれば
きっと
言葉をぐっと飲み込めたり
新しい言葉に変えられたらしていくのだろう。
これから,少しずつね。
変わるかもしれんし、
そのままかもしれない。
焦って結果を求めてしまう人がいた。
何をやっても
答えを知りたくて
もう子ども産まれる寸前で
ワタシに質問してきてみたり。
質問はいいのだけど
どちらかというと
「今のワタシは何をしたら??」という
答えを聞かせてもらって
それをそのままやればいんでしょ!
的な投げやり感。
投げやりになるしかないくらいの
ゆとりの中で生きている人であれば
教えた方がいいのかもしれない。
でも、そこそこ付き合ってきた人でしたから
最後は
そのまま味わうことをお伝えした。
無事子どもは産まれ
経膣分娩されたとの知らせも届く。
さ、ここからがまた
第二ステージの始まりですねぇ。
どうなっていくことやら。
前を向いて進むのならば
そのすべては成長ですよ^ ^
我々は見たいようにしか見ない、とよく聞く。
ネガティブに偏る人は
どんな出来事もネガティブにとらえ不幸のままで終わる。
うまくいく人はそのネガティブの先があることを知っている人だ。
決してポジティブな人が幸福なわけじゃない。
進んでいける思考を持つ人は
全てにおいて
【その全てが良くなるために起きた】ということを知っている。
大切なのは【自己成長】のためのイベントだ
ということを理解しておくこと。
器の小さい人は
人の粗探しをするし
ダメなところをそのまま嫌味のように伝える
器の大きい方は
今あるところから
どうしたらより良くなるのかを
常に考えられるはずだ。
若い時にはなかなか辿り着けないかもしれない。
どんな出来事においても
結局それは
自分の捉え方でしかない。
一つの現象からさらに
多岐にわたる思考力を持てるように
成長するのです。
それだけが
これからをより良く生きる道。
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