ルールに縛られること
ルールとは何か
と、聞かれたので書いてみる.
ルールとは
方法、やり方
試合などである程度の制約、規律、決まりを作っておくことで決められる方法の提示
していいことより、してはならないこと の 方が多いか
ルール。
皆さんの中にはそのルールがどれくらいあるだろうか
そこには我々の生きてきた中で手に入れたものが半分はあるだろう。
日本国で生まれたから日本で生きる、
さらにその地で生きるルールを
我々には染み込まれている.
北海道ならではの感覚もあるだろう。
男ならではの感覚もあるだろう。
長男、次男ならではのルールもあるだろう。
数多くのルールがある。
そして、そのルールを見た時に
”人の数だけ捉え方がある”
「マスクのご協力をお願いします」
と、今あちらこちらに書かれている。
・あぁ、必ずしないと入っちゃだめなのよね。
と、する人もいる。
・強制的にしろって、言っているようなもんよな
と、考える人もいる
・はいはい、すればいいんでしょ
って人もいる。
・マスクごときで感染なんてかわるかよ!
と、反論する人もいる
・反論するけど、つける人もいる
・反論して、つけないを意固地にする人もいる
・協力、、、だから、強制じゃないよね
といって、 しない を選ぶ人もいる
・したくないけど、みんなの顔色をみて つける を選ぶ人もいる
世の中にはたくさんのルールがあるが
それを”どう解釈するか”は
ひとのかずだけ現れる。
法の解釈なんていうのも同じことで
あらゆる解釈で抜け道を探して
ほぼ脱税のようなやりとりをしている人も世の中には多い。
だからこそ、弁護士っていうのも成り立つのだろう。
解釈の争い
しかし、解釈の争いは
最後に『誰かが絶対的な権限を持つ必要がある』というルールがある。
結果、多数決での判断になるので
誰かが最高責任者として君臨する必要があるんだ。
最後は、その人が決めた方がえらい、というルールになる。
結果、言いなりになり、
考えることを失わせる。
本来、何を目的にしていたのかもわからなくなるようなことも
少なくないだろう。
横断歩道を渡ろう!
と、あるから
横断歩道以外は渡ってはならない!
と、する人もいるし
車をよく見ればいいんでしょ
といって、守らない人もいる。
なんでその文章があるのかを考えたら
「交通事故から身を守ろう」
「命を大切に」があるのだが
横断歩道をどうこうする・・・という
手段の部分に意識がむきがちなのだ
そもそもなにしたかったん。
そこが抜け落ちた、お粗末な会議・議題になることは
世の中に数多くある。
その議論、いる?
みたいな。
政治も残念だが9割がそれだ。
というか、世の中すべてがほぼそれ。
本質を見抜く力を育てる
大人がその陰陽に気づき、
子供のうちからそんな話をできるように
人とコミュニケーションとることをしていれば
大きな問題など起こらないだろうに。
ほんと、面白いものです。
ルールに対して
人の数だけ解釈がある。
だから、
そのルールを
その人はどのように思っているのか
そこを読み取る力がないと
結局のところ、
わかりあう
相手を知る
というところには行き着けないのです。
hama
前の記事へ
次の記事へ