いいと思うことをする。嫌なことをしない。それは誰にとって?
ウェブで学びを得るときに
ビデオをオフにして参加する
あなた伝える側ならどんな気持ちでしょうかね。
「やることあって、音だけ聞こうかな」と、思うこともあります。
前は、飛行機に乗る手前でラウンジにいたので
音だけ聞かせてもらったこともあります。
場合によります。
その際は、
「音だけ聞く形で参加してもよろしいですか?」
と、お願いしておきました。
そうするのが礼儀かな、と思ったので。
あなたは、どう思いますか。
あなたが、お届けする側ならば。
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さて、
なかなか難しい話がありました。
もう、100歳近い祖母が他界しました。
数ヶ月前に大動脈弁の問題が見つかりました。
まぁなにか症状があったので、検査したんでしょう。
(まだ詳しく知りません)
本人は「なんもしなくていい」
そう言ったようです。
家族は「手術したらいいのに」
と、思う。
家族の想いの根幹としては
”少しでも長生きして欲しい”
と思うのが内側にある想いでしょうか。
どこかで我々は”長生きすること”に価値を抱いているのかもしれません。
それは、どこかで ”死ぬ”ということへの恐れを抱いているのかもしれません。
死ぬことの恐れ
については自分についてだけだと思っていました。
クレーシャがいうところの”死への恐怖”。
しかしここには他者についてもありそうです。
すべては表と裏の関係性。
”手術してほしい”
家族に、息子にそう強く言われたのか
病院、医師に言われたのか
最後、決めたのは本人でしょうが 手術をした。
そして、術後、まったく食事をとらなくなり状態は不安定になった。
急性期の病院を退院して、転院先の病院で初日に息を引き取りました。
これをどう思うかはそれぞれに任せるとして
各方面からの想いが入り混じっていますよね。
”死”は
各個人、そして文化的な背景にわたる議論が必要になるので
正解はどう考えても見つかりません。
医療的な側面
文化的な側面
命という重さを考えた時の側面
個人的な側面
あなたは何をメインとして考えるでしょうか。
ここで考えるべきはどう対応するかよりも
”あなたがどう死にたいか”を考えるようにします。
人工呼吸器はつけない、つける
手術はしない、する
延命治療をする、しない
そして、そこにどんな意味を持たせているのかを考えます。
誰が悪いということもない。
誰のせいでもない。
最後に選ぶのは”己”ですから。
今日1日、
おばあとの思い出を紐解いてみようかと思います。
ころちゃんのおかげで
最後数年間まったく会えなかったねぇ
勇敢な顔をしていたおばあ。
ほんと、強い人だった。
最強クラスに。
北海道日高地方のまだ未開拓の荒地を開拓した
第一人者であるおばあとおじい。
九十数年の人生
お楽しみ様でした。
さすがおばあやね。
今日は晴れてますよ。
あぁなんだか泣けてきた
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