仲間と話したこと、から。
仲間と話したこと。
若くしてパートナーを失った方がいる その方の話。
その方は「もう、生きる目的が見つからない」という。
だから、生きていても意味がない、と。
いきたいところもない。
いきたい所はだいたいはいった、と。
ちょっとくらい楽しいことは見つかる。
でも、そこまでのものではない。
と。
わたしは、「ふーん。」と聞く。
そんなの悲劇のヒロインごっこだろ、と返す。
そもそも我々に生きる目的なんてない。
生きる目的は常に探すしかないんだから。
探す、というのか、”作る”というのか。
生きる目的無くなった?
なに、甘ったれたこと言ってんだよ。
なくなったなら、探すしかないんだよ。
見つけられないのは自分の行動力が足りないからだろ。
なにか大切、と思っていたものがなくなったから
喪失感に苛まれて、生きる気すら失った”気がしている”だけ。
思い出せ。
脳は「サボることしか考えていない」のだから。
なにか出来事が起きた時に
「もうやめちゃえー」って言ってるんだから、
パートナーが死んだことを、一生理由にしているだけの話だ。
そのパートナーは、
今の生きる気力もなくなった死んだ顔したあなたをみて
喜んでくれるかい?
根本に立ち返ったらわかることだが、
人間の「サボろう」とする能力はすごいものなんだよ。
それを思い出さない限り、
我らは常に「悲劇のヒロイン」であり続けようとするよ。
ドラマの見過ぎだよ、と言っておく。
そういう人は韓国ドラマにハマるんだよ。知らんけど。笑
ドラマティックな生き方に誰もが憧れるからね。特に女性は。
そんなの夢の話だ。
現実は、もっとシンプルで、もっとめんどくせーんだよ。
死んでもいいんだったらいつでもいいんだけど
人間、そうはいかないんだよ。
私も身体の痛みを考えると
「もう、そろそろ解放してくれんかね」って何度思ってきたことか。
小さい頃から「どこかが辛い」ていう感覚があるから
気持ちはわかるよ。
こんなにやっても
まだまだ良くならないなんて・・・
そうやって自分の努力を正当化したいから
・できるようになりたい!
・頑張らないといけない!
って胸張って、無理しようとするんだ。
で、頑張りすぎるから
どこかでくたびれる。
そして「死にたくなる」
上がったら、下がる
普通のことだよね。
死にたくなってもいいけど、
一応、死なないでおこう。
誰かを悲しませるのも違うし、
まだ何かの役に立てそうだからね。
だから、もっと役に立つために”努力”をするしかないんだよ。
その努力を努力と思わないような方法があるなら、知りたいでしょ。
それが「楽しむ」ってことなんだよね。
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