なぜの探求の限界と、視点の変え方を知る
小さい頃に良く思う一つの”いらだち/想い”がある
「なぜ、勉強しなければらないのだろう」
ここで生じる”なぜ”という思考。
実はいろいろ問題が多い側面を持ちます。
そして、そこで現れる”なぜ”を探しても
実はあまり幸せにならないことも多い。
そして親からは
・大学にいくため
・大人になって”ちゃんと”働くため
・いい会社に入るため
昔はそんな”たわごと:戯言”で丸めこめられてきた。
これは虚言に過ぎず、「ということにしておいた」に過ぎない。
ちなみにわたしはあまり
「なんで勉強しなきゃいけないんだろう」とは思ったことがなかった。
だって、そもそも”知ることが楽しかった”から。
そう、人間、そこに”楽しさ”があれば、
正しく言えば”楽しさを見出していれば”
なぜ?なんて考えもしないのかもしれない。
もしあなたの子供がその疑問を持ったら
あなたは子供を脅迫する以外の方法で、どんなふうに伝えていくことになるだろうか。
脅迫だけは避けてもらいたいなと、心から望んでいます。
知識でなんとか考えて
なにかから”逃げようとする”反応が
”なぜ?”という反応にすぎない側面を持っていると考えている。
なぜ?の答えはいつも「〇〇ということにしておく」
という脳をすっきりさせておくための回避・防衛システムに過ぎない。
脳はすっきりしていないと気が済まない特徴を持っていますから。
でも本当にそれが”答え”かどうかは、どうでもいいんです。
実際だいぶ先にならないとその結果はわからないことが多いですし。
けど、とりあえずその時はすっきりしたことにしておきたい。それが脳の特徴。
とりあえず、騙す意味で、意味を理解したことにしておく。
しかも、気づいた(その時わかった)やつは大体違うしね。笑
”なぜ?” という思考には限界がある。
例えば
頭が悪い、としよう。
勉強ができない、としよう。
なんで、俺は頭が悪いのだろう。
なんで、こんな頭が悪いように育ったのだろう。
確かに学校の授業ではあまり点数がとれず評価されないから
”頭が悪い”という烙印はついたのかもしれない。
しかし、
家ではものすごくできるお兄ちゃんで
弟のためにいろんなことをしてあげられる
”優しいお兄ちゃん”であるし、
自分の持っているものを素直に人にあげられる
”優しい男の子”でもある。
弟のために絵本を読んであげられる
”優しいお兄ちゃん”でもある。
家では植物を愛し、いろんな植物のことをたくさん知っている
”植物先生”かもしれない。
しかし、がっこうでは・・・。
本人は最初知らないことを学ぶということで緊張もしていた。
普段はそこそこできるのに
”テスト”という言葉に弱く
”テスト”になると、結果が出ないでいた。
普段の問題集ならとけているのに。
「なんで、俺は頭が悪いんだろう」
さて、気づくことがある。
頭悪い、、、のだろうか。
本人はまじめにそこに悩んでいたりするが、
外から見ていると「論点がずれている」ということに
気づけることは少なくない。
悩んでいる論点が間違っている
ということに気づくためには
”客観的”になることが必要だったりする。
自分一人で、客観的になる、というのは
本当に難しいことで ”できない”といってもいい。
あくまでその客観視、しているのは”自分”だから。
”人は冷静にはなれるが、客観的にはなれない”
多くの人がいろんなことに 苛立ち、落胆し、悩んでいる。
しかし、本当に正しく気づいている人は少ない。
正しく気づき、行動に向けての気づきとなるためにも”無駄話”がとても大切だ。
何気ない会話から
相手との関係性を気づくこと。
そして、そこで出てくる”質問”に答えていきながら
”話したことがなかった部分”に話しながら気づいていく。
”会話”
「会って話す」ことでもあるし
「合わせていく」作業でもある。
問いがあって、回答していく
その循環
普段の生活をより良くするのも
ビジネスを成長させるのも
結局は”循環できる仕組みづくり”だ。
今、多くの場所で伝えられているhow toでは
すぐに限界が来るし、
なにせもっと大きな問題は”飽きる”ということ。
そこから学びが起こらないようなものは
我々は”飽きる”
痛みを取るための整体を学ぼう!
全身のオイルトリートメントを!
指ヨガを!
ピラティスの資格を取ろう!
なんやらかんやら・・・
たくさんの資格をとったところで
毎回、お客さんに伝えるのは
”同じことの繰り返し”だと、
伝えている側が”飽きる”
資格を取る側の最たる問題・状態は
次々と資格をとり続けてタイトルホルダーになっていくパターン。
なんちゃらコース 終了
なんちゃらコースアドバンス 修了
なんちゃらコースマスター 修了・・・
他の団体のなんちゃらコース・・
おいおい
”考えることができない自分”
自立できない自分
だから、自律神経も壊れる自分となるか。
”飽きている”自分に無意識に気付きながら
自分が満たされず、自分で考えることもできないから
”答えを求めて生き続けるパターン”へ。
他人に問題を押し付け、他人の責任へ (他責概念)
金の無駄遣い以外のなんでもない。
(ある意味、飽きてほしくないから資格をとりにいき続ける人もいると思います)
”伝えている”側が飽きるんだから
”聞いている側”も飽きる。
これからより良く生きていきたいのであれば
より良い仲間たちと、関わりを深めていきたいと望むのであれば
”循環できること”が一つのキーワードとなる。
RSSCで伝えていることを理解していけば
次々といろんなことを学びに行かずとも
自分でクリエイトしていける能力を育てていける。
それが”自立”であり、私たちの届けたい一つの終着地点です。
しかも、それが無理してるわけじゃないこと = 自然体
っていうのは非常に重要になる。
ある程度、生活に苦労しないオールマイティになりながらも
あなたの”好き”を強化する。
同時に、”得意”や、あなたの”苦手”にも気づいていくこと。
その発見は、今後進む世の中を生きていくのには
とても大切なあなた自身への”取扱説明書”となります。
最初は必要なテンプレート・形式を学びながら
そこからさらに”考え方の考え方”を學ぶこと。
そして、そこから一つ一つの手技を見直したり
今すべきことを明確にしたりする。
そうすれば
どんなことをするにしてもあなたは無駄に悩むは減り
”思考”と”行動”の循環が進むようになる。
時にまたわからなくなったら
その相談相手とまた話せば解決できるのだ。
一人で考えようとしない
もっと人とつながり続けよう
多くの人を巻き込んで
あなたがもっと快適に過ごせるようにしていく
誰か、何かに依存することから脱却していくこと。
誰か彼かわたしを助けてくれる人がいる、という安心感へ。
そして、私も”すべきことをする”。
より融合していける和合同一の世界へ
進んでいくことが求められていますね。
進むべき人が進める世界へ。

今、2026年 令和8年でしょ。
令和14年、大変そうだな。
それに向けてやること、思いつくこと全部しておかないとな
と、思ってます。
丙午 2026
丁未 2027
戊申 2028
己酉 2029
庚戌 2031
辛亥 2032〜壬子 2023
このへん。
さ、次に駒を進めていこうね^^
それを仲間とするために
そして私のリードが欲しいという方のために
なにか時間を作ろうと思っています。
onlineでできる形でやろうかな。
どんな形がいいだろうね^^
おそらく、3ヶ月くらいかけてやるプランに。
毎週1回とかで、3ヶ月。
12回くらいのディスカッションから一生物の取説を手にいれるlife desigh。
どう?
話を戻すが
そもそも”勉強”が楽しくないわけがないじゃないか。
知らなかったものを知り、
生きている時に見える意味合いの視点が広がった時
「これはそんな意味だったのか!」
「これにそんな想いが込められてきたなんて!」
そんなことがもし毎日起こったとしたら
こんな素晴らしいことはないじゃないか。
想いが紡がれていく
今まで生きてきた人たちのエネルギーもそこで
感じることができるし、
今生きていることの価値もさらに見出すことができるだろう。
そう、学びは今の生活を”より豊かにするためのも”でしかないのだから。
豊かさのなかに生きていく人は
学び続けていくのです。
誰にさせられるわけでもなく、ね。
学びは一生

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