捉え方は千差万別
「素敵ですね」
と、言われたとしよう。
わ💕ありがとうございます ルンルン〜〜
な、人もいれば
え、なにが? これのどこが・・・
な、人もいて
はぁ?あいつまじバカにしてんのか もいる。
千差万別。
絶対数を超えて 〜千が万を超える
それ以上に ”個別性” がある
それ以上に どこに反応するかはわからないのだ。
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とある講演家の話。
街でゴミ掃除をしている人がいた。
その人は、毎日ゴミ掃除を無条件で数年間していた。
だから、君のしていることはすばらいしことだ。
君のおかげでみんなは救われている!
と、そのゴミ掃除をしている人に伝えたら
「ゴミ掃除なんて、クソみたいな仕事だ」
と、言われた側は言い返した。
誰かの評価によって
誰かの発言によって
あなた・わたしは喜ぶこともあれば傷つくことがあるでしょう。
関係性が育っていない時
それは容易に起こります。
関係性が育ってきていても
それは容易に起こります。
わたし・あなたの体調、コンディション、天気、月、太陽、運勢、、、
なんにでも影響されます。
だからすべてをあなたの責任にする必要はありません。
誰でも、どんなにすごい人の助言でも
あなたは救われることもあるし
あなたは傷つくこともあるのだから
その一つの事実は一つの事実として知る
そこから相手がどうなるかは
また気長に観察すればいいだけのことです。
そして、また自分に対して「すべきことをしましょう」
人を傷つけないようにする・・・・という否定的な行動では
何も変えられない。
人を褒める言葉を増やす・・・という無理なポジティブは
瞬間的にしか導けず、何も変えられない。
そのどちらもが how to的思考であり、
抽象的な中心概念ではない。
どちらか、ではないし、
どちらも、というか
そのどちらでもない、”そもそもを疑う”ことの重要性もある
その結果が訪れた、ということは一つの事実であって
隠しようもありません。
なにかの配慮と対応が足りなかったのかもしれません。
常に疑うのは「自分の行動と想いの不一致」
目に見えるところから変える
そしてそこに気づき、行動する
まぁ、どんな小さいことも、大ごとも
結果やれることは「それしかない」のだから。
あらゆる可能性を考え続けること
そして
それによって自分を攻撃することをやめよう
それがいつか、習慣になるから。
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