明けない夜はない、的な盲目的に信じている「何か」について。
とあるコーヒー屋さんで「季節のお豆の試飲されませんか?」
と声を掛けてもらった。
「ぜひお願いします」と返事をすると、
店員さんは、試飲用のカップを温めてくれた。
温めてくれたカップは紙コップだった。
たいせつに手渡されたその一杯は、
ふわっと甘い香りがする優しい深さのコーヒーだった。
疑いもしないこと
明日も生きている。
未来を生きていることを疑ったことはあるだろうか?
ニュースで有名人が亡くなったと見て、
親戚の誰々が亡くなったと聞いて、
でもどこか、他人事のような氣がして。
「わたし」の明日はきっとくるはずと、みんな信じているように思う。
他のいろんなことは氣に病むのに。
明日出勤の電車が遅れたら・・・
明日時間に起きられなかったら・・・
会社の上司とうまくやっていけないかも・・・
○○さんのことがどうも好きになれない・・・
あーだ、こーだ。
全部、生きていてはじめて悩めること。
疑いもせず明日が来ると信じられるのなら。
その「生きる」を信じている「わたし自身」を、
もっと信頼してあげてもいいのかもしれない。
雨は必ず上がる
わたしが人生のどん底で一生懸命「生きる意味」を探していたとき。
探しても探しても見つからなくて、心が折れそうになっていたとき。
わたしは、これまで疑ってもいなかった
「夜明けがくること」がイヤでイヤで仕方がなかった。
自分には射し込まない(と思い込んでいた)光を見るのが耐えられなかったから。
誰かに散々愚痴を言ってみたり、
自分を言葉で傷つけてみたり、
相手のせいにして救われようとしてみたり。
汚い言葉もいっぱい吐いたし、
思い返そうと思えば後悔も山ほどある。
それでも
どんな雨も、必ず上がる。
奇跡の「今」を思いっきり生きてみる
そもそも明日がくることが「奇跡」であるならば。
どんなに苦しい状況も、
乗り越えられられるのか!?って思う出来事も、
結果、だいじょーぶ、なのだ。
疑うことなく迎えられる夜明けは、
「生きる」の奇跡なのだから。
「もし、何もかもだいじょうぶだとしたら、どうしたい?」
本のフレーズを頭に繰り返しながら、マインドマップを描いた。
もし、
今飲んでいるコーヒーが人生最期のコーヒーでも。
もし、
今日誰かに伝えた「ありがとう」が
この命の最期のコトハだとしても。
わたしは、同じ一日を送ろうと思うだろうか。
あなたは、どうかな。
3日間かけて描き上げた絵は、
わたしの「ワクワク」の輪郭を、ほんの少し形づくってくれた。
トモミ
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